海藻を交易用に

を作る術を知らなかった時代に、海藻は魚介類やその臓物とともに塩分補給 源としては、大変に有用なものとして認められていました。  そのままでもいいのですが、何度も海水をかけて乾かせば非常に貴重な交換手段にもなりました。

 『武蔵野むかしむかし』(朝日新聞社刊)には次のような話がのっています。

 「都下西多摩郡松原村の御前山付近の洞穴に住んでいた古東京人が、木の実をとり動物を狩って生活し、時々海辺のヒジキを採り、塩分を補給していた。  あるとき、山で黒曜石で造ったナイフを持つ山男に会い、それからは石ほしさにはるばるその男を探し求め、信州和田峠辺までたずねていった。  

 そこで塩気に飢えた山男にヒジキを与え、念願の石を交換してもらったので、 以後はその石で造った狩猟具で、めきめき獲物が採れるようになった。

 昭和29年早大の直良信夫研究室は、練馬区関町の、一万年前とみられる赤土の地層中から、黒曜石の類で造った武器を発見しました。 この石は、東京辺にはなく、信州和田峠辺や北伊豆地方を主産地とするもので すから、旧石器時代でさえも海藻類との交換が行われた可能性があるといえるでしょう。


藻の第一の用途は、塩分の補給と物資交換用でしたが、アマノリやワカメな ど南方には無い美味な種類のあることがわかってくると、それらは貴重な植物食とされるようになります。  海辺にただよいつく鮮緑色のミル、鮮紅色のトサカノリの美しさも人目を引いたでしょう。

 アラメやヒジキが、保存食糧として適当であり、飢えを救ってくれることも知 られていったのです。

弥生式文化時代を迎えて、稲作が始まると、これまでの狩猟民と漁民(海人) のほかに農民が出現します。 職業の三分野が成立すると、交換が活発となり、海産物補給者としての海人の存在は重要性を増します。

 藻塩焼の製塩法が生み出されると、海人はその製造を独占します。  潜水漁によるアワビ採り、ワカメ刈りはむろん彼等の専業ですが、この時代になるとテングサ採取も重要な仕事になります。

 インドから東南アジア方面、ならびに中国方面には、古くからわが国のトコロテンに似た製品があります。  おそらく弥生式時代になり煮熟法が発達してくるころからわが国にもトコロテン製法が伝わり、テングサ採取が盛んになったものでしょう。

 テングサ類は、ワカメよりもっと深い漸深帯に生えるものが多いから、採取には海人の潜水技術を必要としたのです。